【新規事業】論文査読からの学び(ブレイクスルー)

アイビーデザイナーズ代表 細野英之です。

大学から20代社会人までは土日関係なく世界最先端の技術開発に没頭しながら、新規事業開発を進めていました。30歳までに国際学会誌へ10報以上掲載されることを目標としていました。結果は15報でした(欧米の有名国際誌へも半分程度掲載されました)。ネイチャーへ3度投稿しましたがこちらは残念ながら掲載されませんでした。

論文投稿は必ず国際誌と決めていました(日本人だけに読んでもらっても仕方ないと考えていたため)。当時は翻訳ソフトもなく自力で執筆し、その後、外国人にファックスで添削してもらった後、論文投稿していました。会社で費用負担は認められなかったためこれらはすべて自腹でした。

論文が10報程度掲載されたときには世界各国の研究者(特に発展途上国。理由は高価な有名国際誌を大学などで購入できないため)から別刷の依頼が100は超えていました(机の引き出しが様々な国のはがきやレターで一杯)。今は電子化されているためこのようなことはないですが。

当時、発展途上国(中東や南米など)においても世界最先端の技術領域に興味をもち、研究している研究者が多くいることに驚かされました。その後、国際学会からも講演を招待されたり、座長を依頼されたりしました。いずれも20代での経験です。

このような一流国際誌へ投稿することで一番、印象に残っていることは(ネイチャーからの回答もそうですが)、2名いる世界のどこかの一流の査読者からの指摘が「予想外であったこと」および「秀逸であったこと」です。会社内の人間からは決して得られない気づきや視点でした。これが当時の自身を研究者としてだけでなく、新規事業開発者としても大きく成長させました。

当時、査読者は自身の研究領域の大御所と思っていましたが、そうではないことが査読者のコメントからわかりました。1名は近い領域、もう一名は明らかに異なる領域の査読者でした。この異なる領域の指摘をクリアすることは難易度が高いものでした。

実験データを予想もしない角度から考察してきてそのエビデンスを追加するように要望されたこともありました。何しろ、そのような観点で考えたこともなかったということもありますが、その指摘を証明する測定装置がないためデータを追加することに苦労しました。欲しいデータを獲得するために様々な大学や研究機関を調べ、協力を求めたりしました。

当時、自身の研究領域の論文は毎週20報は日常的に読み、どの国の、どの大学や研究機関の、どの研究者がどのような研究実績を上げているかを十分理解していたつもりでしたが、読んでいる論文とは別の領域からの研究者からは違った世界に見えるのだ、と悟りました。

結果、エビデンスの厚い論文に仕上がり、無事に最難関国際誌へ何度も掲載されました。このように研究者としても査読者に鍛えて頂きましたが、新規事業開発もミッションとしていましたので、このような異視点、異視座が新たなブレイクスルーのきっかけになるのだろうとその時思いました。

このスタンスは20代以降、今でも変わりません。それがゼロイチ事業発案のトリガーとなるからです。

私には特定の専門領域というスタンスはなく、サイエンスすべてが自身の仲間と思っています。

このスタンスは25歳以降ずっと変わりませんし、変える必要性を感じたことがありません。そのきっかけを与えて頂いたのは理化学研究所に出向していたときの経験です(詳しくはまた別のブログでお話します)。

「専門領域は十分わかっている」、「この領域は世界第一人者レベル」と思ってしまった瞬間、イノベーションは起きなくなります。

異分野の技術まで関心を持ち、それを自身の研究に生かしていくことがイノベーションを起こすアイデア創出のために必要なのです。

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